東京地方裁判所 平成2年(ワ)10513号 判決 1993年1月28日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は原告に対し、金一二九六万四四三九円及び内金一一八〇万六三〇〇円に対しては昭和六〇年七月二二日から、内金一一五万八一三九円に対しては平成二年九月七日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事実の概要
本件は、被告が支払うべき相続税、固定資産税、水道料金等を原告が支払ったとし、原告がこれを不当利得として被告に返還を求めているのに対し、被告は相続税等の不当利得返還義務を争うとともに、相続によって原・被告の共有財産となった不動産の被告持分につき、原告が不当な仮処分の執行を行ったとし、その損害賠償請求債権による相殺を主張している事案である。
一 相続税等の納付等の事実(証拠を掲げた部分の他は、争いがない)
1 原告は亡岩崎新太郎の長男、被告は次男である。新太郎は、昭和五九年一一月二五日死亡し、その相続人は原・被告両名であった。
2 原告は、昭和六〇年五月二五日付けで、原・被告両名の名義で相続税の申告をし、被告相続分の相続税として同日一一一九万九六〇〇円を納付した。次いで、原告は、同年六月二六日相続税の修正申告をし、被告の本税修正分として同月二八日五七万八二〇〇円、同年七月二二日加算税二万八五〇〇円を納付した(甲一ないし五)。
3 別紙物件目録記載の土地は、もと新太郎の所有であったが、同人は昭和五八年九月一六日持分一七分の一を妻岩崎和加子に贈与し、昭和五九年二月二二日和加子の死亡により右持分は、新太郎が六八分の二、原・被告が各六八分の一を相続したため、新太郎の死亡時の同人の持分は六八分の六六であった。
また、別紙物件目録記載の建物も、もと新太郎の所有であったが、同人は昭和五八年九月一六日これを和加子に贈与し、和加子の死亡により新太郎と原・被告の共有(持分新太郎四分の二、原・被告各四分の一)となった。
そして、新太郎の死亡により、本件土地建物は、原・被告の共有(持分各二分の一)となった。
4 原告は、本件土地建物の昭和六〇年ないし昭和六三年の固定資産税及び都市計画税合計二一七万〇八四四円を納付した(甲六、七。原告が主張する二二四万四二四四円は、誤りと認められる。)。
5 原・被告は、昭和六一年一〇月二九日東京地方裁判所において成立した和解により、本件建物を共同管理することになり、同年一二月三〇日住友不動産建物サービス株式会社に管理を委託してきた。
そして、昭和六二年四月分ないし昭和六三年一一月分の水道料金七万二一三五円については、原告がこれを支払った(甲九、弁論の全趣旨)。
二 仮処分等の経緯(争いがない)
1 原告は、本件土地建物の被告持分について、処分禁止の仮処分を申請し、昭和六二年二月七日東京地方裁判所はその旨の仮処分決定をして同月九日これに基づく登記がなされた。これに対し、被告が異議を申し立て、昭和六三年一〇月四日同裁判所は、右仮処分決定を取り消す旨の判決を言い渡し、右判決は確定した。
2 また、原告は、右仮処分の本訴である土地建物持分移転登記請求訴訟を提起したが、平成元年一月三一日同裁判所は、原告主張の遺産分割は認められないとして、原告の請求を棄却した。これに対し、原告が控訴したが、平成二年四月二五日東京高等裁判所が控訴棄却の判決を言い渡し、この判決が確定した。
三 争点
1 原告が被告名義で納付した相続税等の相当額を、被告は不当利得として原告に返還する義務があるか。
(被告の主張)
原告が被告名義でその主張のような相続税等を納付したとしても、それは原告が被告に全く無断で被告の名義を冒用し三文判を押捺してした無効の申告に基づいて勝手に納付したものであり、事後的にも右申告納付を被告が承認したことはない。したがって、原告は被告の納付すべき相続税等を被告に代わって納付したものではなく、被告には何らの利得もないから、不当利得返還義務は負わない。
(原告の主張)
新太郎の遺産相続に関し、原告は分割の合意があり本件土地建物は原告の単独所有となったものと信じていたが、遺産分割協議に関する文書が調っていなかったため、税理士に相談のうえ、取り敢えず法定相続したことにして申告することとし、法定相続人である原・被告両名の名で相続税の申告をし、税務署においては原・被告両名が納付したものとして処理された。その後、遺産分割について原・被告間に紛争を生じ、調停・訴訟を経て平成二年四月二五日の東京高等裁判所判決によって、本件土地建物が原・被告両名の共有であることが確定した。また、新太郎死亡直後、原・被告間には、相続に関する手続等全てを原告において取り計らうとの合意があった。
したがって、右相続税等の申告・納付は、被告についても有効であり、仮に相続税の申告に瑕疵があったとしても治癒されたものである。
2 原告が本件土地建物の被告の持分につき処分禁止の仮処分を申請し、仮処分決定を執行させたことが不法行為となるか。また、それによって被告に損害が生じたか。
(被告の主張)
和加子及び新太郎を被相続人とする各相続について、相続人間の遺産分割協議は全くなされていなかったにもかかわらず、原告は、右分割協議が成立し本件土地建物は原告の単独所有になった旨、故意または過失により虚偽の事実を主張して仮処分決定を得たものであるから、本件仮処分申請は不法行為を構成する。
被告は、本件仮処分申請前である昭和六一年一一月二七日、キャピタル建企株式会社に対し、本件土地建物の被告持分を七億三四四三万円で売り渡すことを承諾していたが、原告の仮処分により、右売買契約が成立しなかった。次になされた岩佐陽一郎との売買交渉も、右仮処分のため本件土地建物がいわゆる「事件物」となったため、正常な取引価格での取引ができず、四億八一八三万円で売却せざるを得なかった。したがって、被告は原告の右不法行為により、少なくとも右差額の二億五二六〇万円の損害を被った。
被告は、平成三年一月二八日の本件口頭弁論期日において、右損害賠償請求債権(別訴で請求している四〇〇〇万円を超える部分)をもって、原告の本訴請求債権と対当額において相殺する意思表示をした。
(原告の主張)
原告は、遺産分割協議が成立しているものと信じて仮処分を申請したものであり、また、裁判所が仮処分申請書及び疎明書類を審査のうえ、申請を相当と認めて仮処分決定をしたのであるから、右仮処分の申請及び決定の執行は不法行為とならない。
また、被告のキャピタル建企に対する売渡承諾書は本件仮処分決定前の昭和六一年一二月三日限り失効しており、岩佐との売買契約は仮処分取消後の平成元年一月三一日のことであるから、被告の主張する差額は損害といえない。
第三 争点に対する判断
一 相続税等相当額の不当利得返還請求について
1 原告は、本件相続税の申告にあたって、被告に電話で取り敢えず二人の名前で申告しておく旨連絡したところ、被告はこれを了解し、被告分の相続税については立替えを依頼された、申告の中身については税理士から被告に事前に説明がしてあると思う、その後被告に対して立替金の請求を電話で何回もしている旨、また、新太郎の死亡直後原・被告間で相続に関する手続を全て原告に任せるとの合意があった旨述べているが、右供述は、これを裏付ける証拠も皆無であり、被告の供述、乙一二の一、二に照らし信用できない。原告の供述によれば、右申告当時、原告は本件土地建物が全部自己の物であると考えていたのであって、法定相続分に従った(もっとも新太郎を被相続人とする相続に限ってであるが)相続を前提とした税額を立て替えた(つまり被告に負担させる意思であった)というのは、これと矛盾する。前出の証拠及び本件仮処分・訴訟の経緯によれば、原告は本件土地建物全部を取得する意思で、被告に対し相続を放棄するよう働きかけるなどしていたものの、被告の同意が得られないため、やむを得ず前記のような申告をするとともに、こうした申告をしたことが被告に知られた場合、自己の主張を維持することに不利に働くことを慮って、申告・納付の事実を被告に対して秘匿していたものと推認するのが相当である。
2 右のとおり、本件相続税の申告及びその修正申告は、被告に無断でなされた無権代理行為であり、事後に被告が追認した事実も認められないから、被告に関する部分は無効である。右申告が相続の実態に合致することになったとしても、瑕疵が治癒されることになるものではない(ただし、甲一、三によれば、右申告は、本件土地についての新太郎の持分を一七分の一六とし、また、本件建物を新太郎の遺産にあげておらず、重要な点で実態にも合致していない)。
したがって、被告分の申告が有効であった(または有効となった)ことを理由とする不当利得返還請求は理由がない。
3 もっとも、本件相続税の法定納期限からの期間経過により、現在では、原告は被告分の納付税額を過誤納金として還付を求めることが手続上できず、国の被告に対する徴収権も時効により消滅しているとすれば、原告に損失が生じ、被告は相続税納付を免れるという利益を得たことにはなる。
しかし、右損失と利得は、租税法上の別個の原因によって生じるものにすぎず、それぞれ法律上の原因があるともいい得るし、損失と利得との間に因果関係がないともいい得るであろう。また、観点を変えてみれば、原告は自らの意思により敢えて過誤納税を行った者であるから、その事実上の効果により他人に利益を与える結果になったとしても、民法七〇八条の精神、信義誠実の原則等から、不当利得返還請求をなし得ないとの見解も成り立ち得るところと思われる。
4 よって、被告相続分の相続税の本税と加算税を原告が納付したことに基づく不当利得返還請求は、理由がない。
二 不法行為に基づく損害賠償請求権(相殺債権)の成否等について
1 原告が納付した本件土地建物の固定資産税及び都市計画税合計二一七万〇八四四円の二分の一にあたる一〇八万五四二二円及び原告が出捐した前記水道料金七万二一三五円の二分の一にあたる三万六〇六七円は、被告が本件土地建物の二分の一の持分を有する以上、被告において負担すべきものであり、原告は合計一一二万一四八九円の不当利得返還請求権を有する(固定資産税及び都市計画税については、被告も争わない)。
2 ところで、保全処分は、迅速性等の見地から、疎明により、通常担保を立てさせて発令されるものであるから、相手方に損害が生じる可能性をある程度予想した手続であるともいえる。この点を強調すれば、申立人が本案訴訟で敗訴し、被保全権利のないことが確定したときは、仮執行の場合以上に無過失責任を負わせる理由があるとの見解に傾くところであるが、右見解を採らない場合でも、本案訴訟で被保全権利の不存在が確定されたときは、少なくとも申立人の過失が事実上推定されると解すべきである。
本件においては、仮処分異議申立事件の判決(乙三)、本案訴訟の控訴審判決(乙五)によって遺産分割協議の存在が積極的に否定されているほどで、右推定を覆すに足りる証拠があるとは到底いえないから、原告が本件仮処分を申し立てるについて、少なくとも過失があったと推認すべきである。
3 乙六、七(甲一九の一、二)、乙一〇、一三ないし一八によれば、被告は昭和六一年一一月二七日キャピタル建企株式会社に対し、本件土地建物の被告持分を七億三四四三万円(坪あたり一二五〇万円)で売り渡すことを承諾したが、結局、右売買契約は成立せず、昭和六三年一二月二三日岩佐陽一郎に対し代金四億八一八三万円(坪あたり八二〇万円)で売却されたこと、本件土地の近隣土地の昭和六二年及び同六三年の四月一日現在の公示価格は坪あたりそれぞれ約八七五万円及び約一〇五六万円であったこと、当時の実勢価格は公示価格を相当上回っていたことが認められる。被告は、キャピタル建企との売買契約が不成立に終わったのは本件仮処分の故であると主張し、乙一三にもこれに沿う部分があるが、乙七の売渡承諾書の有効期限が本件仮処分前の昭和六一年一二月三日であることからすると、この点には若干の疑問があり、原告がキャピタル建企に対してその持分の譲渡を承諾しなかったことが、契約不成立の理由ではないかと思われなくもない。
しかし、岩佐に対する売却価格が公示価格の水準からも相当下回るものとなったことについては、それが持分の譲渡であったという事情を考慮に入れても、経験則上、本件仮処分が売買代金額の交渉に影響を与えたものと推認すべきである。確かに、売買契約そのものは仮処分取消後のことであるが、契約の交渉自体は仮処分取消前に継続されてきたものであり、本案訴訟は契約時においても係属中だったのであるから、この点は右推認を覆すものとはいえない。
そして、前記公示価格と岩佐に対する売買価格との差を考慮すると、原告の本件不法行為によって被告が受けた損害は、最も少なめにみても坪あたり三五万円(総額で四一一三万二〇〇〇円)を下回ることはないと認めるのが相当である。
4 したがって、原告の前記不当利得返還債権一一二万一四八九円は、本件相殺により消滅した(相殺の意思表示は当裁判所に顕著な事実である)。
三 結論
よって、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。
(別紙)
物件目録
1 東京都渋谷区上原弐丁目壱壱七七番九四
一、宅地 参八八・四九平方メートル
2 同所壱壱七七番地九四
家屋番号 壱壱七七番参六
一、木造一部鉄筋コンクリート造瓦葺参階建居宅
壱階 参四・弐四平方メートル
弐階 壱参四・弐四平方メートル
参階 五七・五壱平方メートル
(附属建物の表示)
符号1
一、鉄筋コンクリート造陸屋根平家建車庫
床面積 弐〇・八〇平方メートル